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2019.03.15

ふるさとに帰ろう Vol.4 愛知ディオーネ 西山小春の野球教室編

  • ふるさとに帰ろう

西山小春(にしやま・こはる)

1998年2月4日生まれ、兵庫県出身。159cm。内野手。右投左打。

神村学園高等部を経て2017年にレイア、18年からディオーネ。好きな食べもは梅干し。

ふるさとに帰ろう VOI.4

今年からトップチームのディオーネの一員となった西山小春選手。チームは年間女王に輝き、充実の1年となりました。シーズンを終え、生まれ育った兵庫県神戸市に帰った西山選手はかつて所属していた地元のチーム・神戸美蹴館ロケッツで後輩たちを指導。“小春コーチ”と呼ばれ、故郷の人々からも愛されていました。

取材/大濱たえ子

 

5度目の正直でプロ入り運命をわけた父の言葉

│地元には、どのくらいの頻度で帰ってこられるのでしょうか?

「関西で試合があったとしてもなかなか実家には寄れないので、今は年末年始とお盆、そしてシーズン終わりの今の時期くらいです。トップチームに上がって1年目の今年は本当に濃い1年で、あっという間でした。まさかこんなに試合に出させてもらえるとは思っていなかったし、一番打者を任せてもらったり、守備につけたり、ヒロインインタビューに立てるなんて…。昔、まだ兵庫ディオーネだったときには、実家の近くで女子プロ野球の試合があって、よく父に連れて行ってもらっていたんですよ。試合を見ては、感動して泣いていました(笑)。そのとき自分が見ていた選手たちと、今一緒にプレーしているって、本当にすごいことですよね。この経験は宝ものです」

 

│充実の1年になったのですね。

「そうですね。トップチームに上がれるのはもちろんうれしかったのですが、自分が下手なこともわかっていたので、ついていけるか心配な気持ちはありました。ディオーネの先輩方は『こんなにいい人がいるんや』っていうくらい尊敬できる人ばかりで、だからこそ、してもらうばかりじゃだめだなって思うんです。勝つため、チームのために頑張って、結果を残さないといけないなと思っています」

 

│プロ入りを目指して、入団テストには何度も挑戦したそうですね。

「5度目の正直で、やっと合格できました。初めて入団テストを受けたのは高校3年生の夏で、その秋にも受けましたが不合格。1年でも早くプロの世界に入る夢をかなえたかったので、高校卒業後は地元の兵庫で小学校の給食を作りながら野球を続けることにしました。朝8時から15時までは給食を作る仕事をして、夕方からは野球の練習。それでも春、夏とまた落ちてしまって、さすがにもう無理やと思いましたね。父には『また落ちたわ。クラブチームに行きたいと思ってる』って話したんですけど、『何があるかわからんから、あと1回だけ受ろ』って言われて。気持ちは落ちたけれど、野球のモチベーションが下がることはなかったので、最後と決めてもう一度入団テストを受けました。そこで、やっと合格できたんです。父の一言は大きかったですね」

 

3歳の頃。家族そろって王子動物園へ行きました

 

中学1年生の春に出場した淡路春季大会で、チームはベスト8でした

 

6歳の頃、幼稚園の運動会での一枚。面影がありますね!

 

小学6年生のとき。左は1つ上の兄・雄一朗さん。似ています!

 

 

実家で思い出の品を探していただくと、小学6年生でソフトボール日本代表に選ばれたときのユニフォームが!

着てみたところ、なんとジャストサイズ!

母・緑さんは西山選手が中学2年生のときに他界。「お母さんを喜ばせたい」という一心で、ずっと努力してきました

 

実家近くの公園でよく練習していたという西山選手。この階段をいつもダッシュしていたそうです!

 

│その一言がなかったら、今の西山選手はいなかったかもしれないですね。

「本当にそうです! 父は普段とても優しいし、学校の成績とか、テストだって一度も見せたことなんてないんですけど、野球のことだけは厳しかった。もともと競輪の選手だったこともあって、選手としての心の持ち方というか、そういう部分には厳しかったです。入団テストに合格したときも『これからやな』って言われました」

 

│西山選手ご自身は、ご両親のどちらに似ているのでしょう?

「うーん、どちらかというと母ですかね。母はどの写真を見ても、全部笑っているんです! 私自身も、いつも無理してでも笑わなきゃと思うタイプなので、そこが似ているかなと思います。根性があるのは父譲りですかね(笑)」

 

かなったプロ入りの夢母が笑顔になるプレーを

│そもそも西山選手が野球を始めたきっかけは、お母さんから二択を迫られたからだと聞きました。

「そうなんです! 『塾に通うか、野球をやるかどっちがいい?』って聞かれたので『野球!』って即答しました(笑)。もともと両親が野球好きで、小さい頃からプロ野球の試合もよく見に行っていたんです。それで、小学2年生のときに地元のスポーツ少年団に入りました。3年生からはソフトボールに転向したんですけど、6年生のときには日本代表に選んでもらって、台湾で試合をしたりしましたね」

│それはすごいですね! 

「その頃から、漠然と〝将来はプロになりたい!〟って思っていました。当時はまだ女子プロ野球がありませんでしたが、選手としてずっとやっていくんだという気持ちはありましたね。小学4年生のときに、学校で10歳を祝う

〝ハーフ成人式〟という行事があったんですけど、そこで『将来はソフトボール選手になって、お母さんをモナコに

連れて行きます!』って言ったのを覚えています。母がF1好きだったので、モナコレースを見せてあげたかったんです」

 

│プロ選手になるという夢はかなったわけですね。

「でも、母はもともと、私をタカラジェンヌにしたかったみたいで。幼稚園のときにバレエとピアノを習い始めたんですけど、ピアノのグループレッスンのときは私一人だけずっと「いやや!」って言っていました(笑)。父はそんな私の性格を見て、団体競技より個人競技に向いているなと思ったみたいです」

 

│西山選手がここまで野球を頑張ってこられた原動力はなんでしょう?

「これまでずっと、お母さんを喜ばせたいという思いで頑張ってきました。母は私が中学2年生のときに亡くなりましたが、いつどの場面を見られても、お母さんが笑顔になってくれるような生き方をしたいと思っています。これは後から聞いた話なのですが、母は『雄一朗(兄)と小春が野球をしているところが見たい』と言って、入院しなかったそうなんです。車椅子に乗って酸素ボンベをつけた状態でもいつも明るく笑っていて、毎試合応援に来てくれました。だから、ガンだなんて全然知らなかった。本当に強いお母さんです。これからも、お母さんが喜んでくれるような野球をしていきたいです」

 

│2年目となる来シーズンの目標を聞かせてください。

「まずは、1年間試合に出続けることが目標です。その中で〝ディオーネの波を起こす切込隊長は西山!〟って言われるような選手になりたいですね。あとは、〝いつか厚ヶ瀬(美姫)さんと二遊間を組みたい!〟って高校生の頃から思っているので、公式戦でそれがかなえられたらいいなぁ。かつて自分がしてもらったみたいに、見に来ているファンの人に、感動や夢を与えられるプレーをしたいです。そして、チームに欠かせない存在になれるように頑張ります!」

小さな後輩に目線を合わせて指導する小春コーチ。眼差しが優しいです

 

自ら一緒に後輩たちと練習します

 

「小春コーチが憧れ」という中学1年生の中本葵さん。かわいい後輩の一人です

 

グラウンドから見える明石海峡大橋。「虹色に光るんですよ!」と教えてくれました

 

バッティングの見本を見せるときは、もちろん本気モードです!

 

 

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