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2019.03.15

ふるさとに帰ろう Vol.3 埼玉アストライア 佐藤千尋の凱旋試合編

  • 埼玉アストライア

佐藤千尋(さとう・ちひろ)

1989年10月22日生まれ、岩手県出身。160cm。外野手。右投左打。一関一高までソフトボール、北海道教育大学では硬式野球をプレー。

12年にプロ入りしスマイリーズ、レイアを経て15年からアストライアでプレー。18年よりキャプテン。

ふるさとに帰ろう Vol.3

今年から埼玉アストライアのキャプテンに就任した佐藤千尋選手。岩手県金ケ崎町出身の佐藤選手が、式戦初となる岩手開催のために花巻球場へとやって来ました。高校時代の友人らによる手作りの横断幕、サプライズの花束贈呈など温かい歓迎を受け、初めての女子プロ野球に観客も大盛り上がりでした。

取材/山田沙希子

岩手で試合ができる喜び全力プレーで応えなきゃ

│地元岩手での試合となりました。開催が決まったときの気持ちを教えてください。

「まさか岩手で試合ができるとは思っていなかったのでうれしかったです。楽しんでいただきたいので、そのために全力プレーをしなきゃと思いました。初めて見てくださる方も多いだろうなというところで、いつも意識していることですが、女子野球って楽しいんだな、おもしろいんだなと思ってもらえるようにしたいなと思いました」

 

│試合を終えて、今の感想を教えてください。

「岩手出身ではあるのですが、実は私も花巻球場で試合をするのは初めてでした。お客さんには知り合いやお世話になった方が多かったので、『岩手で試合ができてるんだなぁ』という喜びを感じながらプレーができたかなと思います」

 

│手作りの横断幕もありましたね。

「はい、見ました!(にっこり)高校の仲間や、その親の方々が協力してくれて作ってくれたんだと思います。照れくささもあったのですが、そういう風に迎え入れてくれる仲間を持てたことはありがたいなと思いました。そういう方々の前で、成長した姿を見せることができてよかったと思います」

 

│試合前のセレモニーではサプライズもありました。

「花束をくれた2人のうち、1人からは『行くよ』という話を聞いていたんですが、もう1人の子のことは全然わ

からなくて。まさかの出来事だったので…感動しました。どの時代も同級生は大事だと思いますが、高校3年間、一番厳しい練習を乗り越えてずっと一緒にいたソフトボール部の仲間は、やはり特に思い入れが強いです」

 

│元々はソフトボールをしていたそうですが、どんなきっかけで始めたのでしょうか。

「小学3年生くらいのときに、スポーツ少年団の人数が足りなくて先輩たちから『入らない?』と誘われました。ソフトボールがどういうものかもわからなかったのですが、『試合のときには親の方がお菓子をたくさん持ってきてくれるよー!』って言われたんです。だからそれに乗っかった感じで(笑)。

生まれたばかりの頃。母・浩美さんと現在の佐藤選手、そっくりです

左が佐藤選手。お母さんに抱かれているのは2歳下の弟・篤さん

2歳の頃。面影がありますね

アイスを頬張る佐藤選手。かわいいです!

 

プレーボールから2者連続で打球を処理するなど、守備機会が多く訪れました

 

高校のソフトボール部の仲間がサプライズで登場! 久しぶりの再会となりました

 

球場全体の温かい雰囲気に思わず目が潤んだ佐藤選手。大声援を受けました

 

上/手作り横断幕。「忘れてました(笑)」という高校時代の愛称“ホワイト”も 下/アストライア側のスタンドにはたくさんの人が詰めかけ、「ちひろさんガンバレ」の文字も見られました

 

あまり深く考えずに『やりたい!』と始めました。中学はそのままスポーツ少年団の子たちとソフトボール部に入りました。そのときにたまたま強豪校にいた先生が赴任してきて、その指導を受けて勝てるようになったり、上達している実感を得られるようになったことでソフトボールにはまりましたね。やることすべてが新しくて、どんどんうまくなっていくのが自分たちでもわかったんです。それぞれがうまくなればチームが強くなるし、厳しいという感じではなかったですね。朝早くから夜遅くまでやっていたんですけど、それは当たり前というか。

一緒に頑張る仲間もいましたから」

大学で初めて野球に挑戦〝女子マネ〞から選手へ

│大学は北海道教育大に進みました。

「体育の先生になりたかったので教員免許をとりたかったのと、北海道への憧れもあって選びました」

 

│憧れですか?

「自然が好きなんです。広大な景色や青い空、おいしい食べ物があって、なんだか日本じゃないようなイメージもありました。そういうのがいいなと思っていて。地元も自然豊かなところですし、地元を出たいというわけではなく、ただ北海道に行きたいという思いが強かったですね」

 

│大学では野球部のマネージャーをされていたんですよね。

「はい、マネージャーになったのもたまたまでした。勧誘されて『マネージャーという面から見てみてもおもしろいかな?』という思いがあったのでやってみることにしました。勧誘されていなかったら、やっていなかったと思います」

 

│途中から選手に転向されましたが、初めて野球をやったのが大学生のときですか?

「はい、それまで野球の経験はなかったですね。でも、マネージャーの仕事の一環としてキャッチボールの相手をしたり、ノックを打ったり、ティーをあげたりと選手の手伝いもしていたんです。そのうちに、自分でやりたいなっていう気持ちになって、それを察した仲間の男の子たちが『やったら?』って言ってくれて。でも、ブランクもあったのですぐには踏み出せませんでした。トレーニングをしたり選手の手伝いをしたりして、実際にプレーするようになったのは2年生の春になってからでしたね」

 

│周りはみんな男子という中での初めての野球は、どうでしたか?

「練習を手伝っていたのでボールには慣れていたのですが、塁間の長さも違いますし、その距離感に慣れるのには時間がかかりました。ソフトボールはリードをしないので、走塁も違いましたね。あとは男子のパワー。打球が速いので、それはちょっと怖いなと思うこともありました。でも、それにもだんだん慣れて、試合にも出るようになりました。レギュラーではありませんでしたが、大差でリードしているときや、練習試合では5回から出させてもらったり。

機会は多くはなかったですが、使ってもらいました」

 

│女子プロ野球選手を志した理由を教えてください。

「教員を目指していたので、大学4年生で進路を決めるときには教員採用試験を受けていました。女子プロ野球のことは知らなかったんですが、男子の硬式野球部の中で女の子がプレーしているのは珍しかったので、当時北海道でいくかの新聞社さんに取り上げてもらっていたんですよね。そこで知り合った記者さんに『女子プロ野球っていうのがあるけど知ってる?』と教えてもらったんです。それまでは男子の中でやってきたので、自分は女子の中ではどれくらいのレベルにいるんだろうなと知りたくなって。力試しという形で、入団テストを受けました」

 

│実際に女子プロ野球選手になって、いかがでしたか?

「お客様にお金を払ってきてもらっているわけですから、もっとうまくならないといけないなという思いでしたね」

 

│周りの反応はいかがですか?

「応援してくれていると思います。なかなか岩手で試合をすることはできませんでしたが、来たときには『頑張ってるね』『応援してるよ』という言葉をいろんな方からもらいます」

 

│プロ生活7年目を迎えますが、女子野球界の変化を感じることはありますか?

「女子野球部がある高校も増えてきましたよね。女の子も野球をやっているという環境があるのは、いいことだと思います。女子プロ野球選手になりたいという子も増えてきていると聞きましたし、実際、将来の夢の調査でも「女子プロ野球選手」がランキングに入っているんですよね。そういう情報に触れると、女の子が活躍できる場が増えているんだなと実感します」

1番センターでスタメンで出場。積極的なバッティングで声援に応えました

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