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2019.03.15

セカンドキャリア 坪内瞳

  • セカンドキャリア

セカンドキャリア

次の夢に向かって第四回

 

日本大学国際関係学部

女子硬式野球部監督

坪内瞳

野球とともに歩む人生

女子プロ野球選手1期生として活躍した坪内瞳さん。

3年間の現役生活を経て、プロ初の女性監督となり話題を呼んだ。

その経験を生かし、現在は日本大学国際関係学部女子硬式野球部という

新たなステージで監督業に勤しんでいる。

引退してもなお、野球漬けの毎日を送ることを選んだ坪内さんの“野球人生”に迫る。

文/中川路里香  撮影/近藤宏樹

 

 10月下旬に行われた、第8回女子野球ジャパンカップ。大会2日目、京都両洋高校戦に臨む日本大学国際関係学部女子硬式野球部ベンチに、坪内瞳さんの姿があった。

 “女子硬式野球頂上決戦”といわれるこの大会は、高校、大学、クラブチーム、プロチームからそれぞれの成績上位チームが出場し、日本一をかけて戦う。大学枠は2チームが参加できることになっており、日本大学国際関係学部は創部5年目の今年、初出場を果たした。

 そんなチームの指揮官が、坪内さんだ。初代監督として5年前に就任して以来、ゼロからチームをつくってきた。

 初戦の京都両洋戦は、4対0と大学生が貫禄を見せて勝利。

「点がなかなかとれそうもなくてドキドキしましたが、選手たちが粘り強くつないでくれたので、なんとか勝てました」

 優しい笑顔で試合をそう振り返った坪内さん。試合中、元気よく盛り上がる日大ベンチが目に入り、雰囲気のよさが窺えた。チームづくりはお手のものなのだろうと勝手に納得していたが、本人からは意外な言葉が返ってきた。 

「自分自身では、いまだに指導者には向いてないと思っているんです」

プロ生活3年で引退未練は一切なかった

 坪内さんは、2010年にスタートした女子プロ野球の第1期生。8年前、プロとして初めて臨んだ試合の感動が、今も忘れられない。

「震えましたね。〝幼い頃から憧れていたプロ野球選手に、今、私はなってるんだ〟〝 お金を出してチケットを買ってくださったお客さんが大勢いる前で、私は野球をやってるんだ〟って。そう思うと、震えて地に足がつかなかったです」

 感動のプロデビューから3年間、坪内さんは兵庫スイングスマイリーズでプレーし、2012年に現役を引退した。

「プロに入ったとき、すでに26歳でしたからね。ケガもありましたし、3年目のシーズンが終わったときに〝やりきった!〟と思いました」

 引退するときの気持ちはすがすがしく、現役への未練はいっさいなかったという。「いろんな人に支えられてプレーできたので、今度は支える側として何か役に立ちたい」とリーグに残り、選手のサポート役を買って出た。

「指導者に向いているとは思っていない。

でも、私が力になれることはある」

 

 当時、スマイリーズを前身とするディオーネは、レイアと同じグラウンドで練習していたチーム練習でノックを打つなど、練習補佐を務め、毎日両チームの選手たちを見ていた。

 そうして半年が過ぎた頃、突如、レイアの監督が辞任するという事態が起きた。思いがけぬ出来事で、後任がなかなか見つからない。そんな状況下で、ある思いが芽生えた。「誰よりも選手を見てきたのは、私だ」

 指揮官を失ったときほど、選手が不安になることはない。

「選手を救いたい一心で、〝私がやります〟って言っちゃったんですよね(笑)」

 こうして女子プロ野球界初の女性監督が誕生したのだが、坪内さんはその年のシーズンが終わるとともに監督を辞め、リーグを去った。「自分には監督はまだ早い」と感じたからだった。

「とにかく勝てませんでした。選手たちといろんな話をしたり、試行錯誤したのですが、本当に勝てない。全然思うようにいきませんでした」

 辞めてどうするのか、まったく考えてはいなかった。そんなとき、ある情報が坪内さんの耳に入った。地元、静岡の大学に女子硬式野球部ができるというのだ。

「何かお役に立てそうなことはないでしょうか」

 気がつけばそんな電話をしていた。もちろん、監督をするつもりはなかった。ところが学校側から、「監督がまだ決まっていない」「プロでの指導経験も生かしてぜひ引き受けてくれ」と思いがけず猛アプローチを受けた。その熱意に負け、大学職員として働きながら監督に就任することが決まった。坪内さんは「こうして現在に至るわけです」と、少し照れたように笑う。

たった1人の部員とともにチームづくりに奔走

「指導者には向いていない」と感じていながら、いったいどんな心境で新天地へ飛び込んだのか。そんな疑問を問いかけると、「指導力はさておき、チームの立ち上げにあたってなにかの力になれるはずという自信はあったんです」と坪内さん。蓋を開けてみると、日本大学国際関係学部女子硬式野球部1年目の部員は、わずか1人だった。平日は監督と選手が一対一で練習。しかし、野球は9人でやるスポーツだ。「これでは、せっかく入学してきたのに彼女が野球をできない」と、知人がいる埼玉のクラブチームに部員を入れ、大学がある静岡から埼玉まで毎週一緒に通うことにした。決して安易にできることではないが、「私は何度もチームの立ち上げに携わってきているから、そんなことはまったく苦ではなかった」と、坪内さんはこともなげに振り返る。

 坪内さんがいう「何度もチームの立ち上げに携わってきた」のひとつめとなるのは、クラブチーム・侍。

 埼玉栄高校を卒業後、進学した平成国際大学で立ち上げたチームだ。

大学にまだ女子硬式野球部がなかったため、埼玉栄野球部OGたちと一緒に結成した。

 ところが、このクラブチーム・侍も最初は坪内さんを含めて部員がたったの2人。このときも、練習はいつも2人きりだったのだ。毎日楽しく野球に明け暮れた高校時代とは雲泥の差。それでも、他のチームと合同練習をさせてもらいながら2年間を過ごした。

 試合ができるようになったのは、3年目になってから。待ちに待った試合ができた喜びはひとしおだった。さらに翌年、全日本選手権、全日本クラブ選手権、ヴィーナスリーグの3冠を達成。耐え忍んだ日々が報われた瞬間だった。

 坪内さんが粘り強くチームを支え続けることができた背景には、ある人物の言葉があった。野球とともに人生を歩んできた坪内さんが、逆境の中でも常に情熱を持ち続けることができた源。それは、母校・埼玉栄高校の齋藤賢明元監督(現・同校コーチ)の存在だ。

「女の子だって、野球を続けていいんだよ」

 そう励まし続けてくれた恩師である。

「そもそも侍は、『野球をする場所がないなら、自分たちでつくればいいじゃないか』という齋藤先生のひと言がきっかけで誕生しました。それに『女子野球を盛り上げるのはお前たちだ』とずっと言い続けてくれたのも齋藤先生でしたね。当時、侍の練習場所まで提供してくれたんですよ。そんな先生の気持ちを裏切っちゃいけないって思いましたし先生にもらった言葉が今も力になっています」

 侍の創部から4年目、坪内さんが大学を卒業する年には、次年度から大学に女子硬式野球部ができることが決まった。坪内さんは「コーチをやらないか」と誘いを受け、大学職員をしながら兼任選手として3年間チームに在籍した(当時は大学の女子硬式野球部の数が少なく、在学生でなくとも選手登録ができた)。

 そんな経験が坪内さんの糧となり、自身では指導者に向いていると思えなくても、力にはなれるのだという自信につながっていった。

結婚後も監督続投いつまでもサポートしたい

 日本大学国際関係学部女子硬式野球部の創部から、今年で5年。たった2人でスタートしたチームは、2年目には11

人にまで増えた。それも、坪内さんが部員と一緒に毎週埼玉へ通いながら、高校回りもして選手集めを行ってきた地道な努力の成果である。

 今年こそ、春と夏に行われるそれぞれの全国大学女子硬式野球選手権大会ともに準優勝し、ジャパンカップ出場の切符を手に入れる輝かしい戦績を残したものの、昨年まではまるで別のチームであるかのようにまったく勝てなかった。

 転機となったのは、今春に就任した松崎裕幸総監督の存在だ。就任まもない中、総監督は衝撃的な一言を放った。

「みんな、それぞれいろんな方向を向いてしまっている。これじゃあ勝てない」

 坪内さんはハッとした。そこから、部員の意識改革を行なった。ピッチャーを全員で応援してストライクをとらせる、バッターを全員で応援して打たせる。普段のキャッチボールも、互いに「ボールをここへ投げて」と呼びかけるように徹底させた。すると、彼女たちの一球に対する意識がみるみる変わった。試合中のベンチの雰囲気も次第に一体感が増していった。そんな中で勝ちとったのがジャパンカップ出場だった。

 坪内さんが思う野球の面白さは、「どんなに突き詰めても、これで完成という答えがないところ」にある。ある意味、ゴールがないのだ。結果が出ても、もっと上へというサイクルがずっと続く。

「日々、向上ですよね、それで、今までできなかったことがいきなりできるようになったりするから、不思議なものです」

 坪内さんは結婚を機に大学職員を辞め、今年の4月からは主婦業のかたわら監督を務めている。

 生活サイクルが変わったことで、指導への心境の変化があるものなのかを尋ねると、返ってきた答えはノーだった。

「むしろ、そこは変えないようにしています。そこを変えないからこそ、新しく来た総監督から素直に学んで、それを練習に取り込んでいけるんです」

 現役の選手たちにとって、結婚後も第一線で野球に携わっている坪内さんのような先輩の存在は、大きな励みになるに違いない。そんな坪内さんの現在の目標は「とにかく、まずは(日大の)この子たちにてっぺんをとらせてあげること」。

 いつまで監督を務めるか、先のことは決めてはいない。これまでもそうしてきたように、まずは目の前のことに全力投球するのが坪内さんだ。

「どういう形であっても、ずっと選手をサポートする役割を担っていけたらいいなと思っています」

 これからもずっと、野球とともに人生を歩んでいくことに変わりはない。

つぼうち・ひとみ

1984年6月5日生まれ。小学4年生で野球を始める。埼玉栄高校で硬式に転向、女子野球の世界に。平成国際大学時代にクラブチーム侍を創設したのち同大学のコーチ兼選手を経て、女子プロ野球選手1期生となる。プロ1年目の2010年は兵庫スイングスマイリーズで投打に活躍。リーグ7位の打率を残しながら、当時唯一のサイドスローとして20試合に登板した。2年目は投手としてプロ初完封を果たすなど4勝。3年目は自己最高打率.337をマークするとともに、先発・リリーフ兼任で16試合に登板した。2012年に現役引退、史上初の女性監督を経て、日大国際関係学部女子硬式野球部初代監督に就任、現在も次代を担う選手を育てている。愛称は“けんさん”。

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