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2019.03.15

セカンドキャリア 熊崎愛

  • セカンドキャリア

セカンドキャリア

次の夢に向かって第二回

 

切り開いた、新たな道

男女を問わず、プロ野球選手にはキャリアを終えなければならないときがいずれ訪れる――。

ある者は野球に関わる道を選び、またある者は野球とは無縁の日々をスタートさせる。

さまざまな「第二の人生」がある中で、女子プロ野球選手から警察官になったのが、

埼玉アストライアで4年間プレーした、熊崎愛さんだ。

彼女はどうして警察官となったのか? そして今、現役時代をどう振り返るのか?

文/長谷川晶一  撮影/舛元清香

 

本人も予期せぬ警察官への転身

 女子プロ野球選手から警察官へ。これまで、数多くの選手が現役引退後に第二の人生を歩み始めているものの、ここまで劇的な転身を遂げた例は皆無だろう。

「…ですよね。私自身、〝警察官になりたい〞なんて、一度も考えたことがなかったですから(笑)」

 埼玉県警の新人警察官の表情が緩んだ。泥にまみれたユニフォーム姿から、しわ一つない凛々しい制服姿へ変身した熊崎愛さんは現役時代と変わらぬ笑顔のまま続ける。

「でも、今は毎日が楽しくて仕方がないんです。覚えることだらけで、まだまだ先輩たちに助けてもらってばかりです。それでも、本当に困っている人たちから、〝ありがとう〞って言われたときには、私自身がとても幸せな気持ちになれるんです」

 2016年オフに現役を引退した熊崎さんは現在、埼玉県内の繁華街にある交番に勤務している。三交代制で24時間フルに市民のために汗を流す日々を送っている。

「まずは朝6時半に署に来て、身の回りの掃除をします。それから、交番勤務の準備をして、8時半には担当交番に入ります。基本的には交番で地理教示など、さまざまな事案に対応しています。もちろん、パトロールもしていますよ」

 彼女が勤務する交番は県内有数の大繁華街にあり、酔客同士のトラブルも多く、泥酔者の保護は日常茶飯事だ。また、ときには傷害事件も発生する。さらに、近くには県内有数の乗降客数を誇る大ターミナル駅もある。取り扱う落とし物の数は、一つの交番だけで地方警察署を上回ることもあるほど膨大で、新人警察官にとっては、すべてが初めて経験することばかり。

「今はまだ先輩の指示を受けながら対応していますが、これからもっと仕事を覚えたら、危険と隣り合わせになることもあるかもしれません。でも、それが私たちの大切な任務だと思っています」

 18年4月に現在の交番に配属されて、まだ数ヵ月。それでも、仕事にかける情熱、そして市民の安全を守るという責任感が熊崎さんの中にしっかりと芽生えていることが、その言葉の端々から伝わってくる。

埼玉県警 熊崎 愛

女子プロ野球選手が警察官になるまで

 13年、尚美学園大学からアストライアに入団した。プロではケガに泣かされ続け、思うような成績を残すことはできなかった。プロ生活はわずか4年。この間だけでも右股関節の肉離れ、左太もも、さらに右太もも肉離れ、そして左手親指の付け根を骨折し、脇腹の肉離れも経験。満身創痍のプロ生活だった。

 あらためて、女子プロ野球選手が警察官になるまでを、本人に振り返ってもらおう。

「16年シーズン、私は故障ばかりしていて、ほとんど試合に出ることができませんでした。体が限界に近づいているという実感もありました。だから、心の奥底には、〝今年限りで引退かもしれないな〞という思いがあったんです。でも、それを認めたくない自分もいて、《引退》とか、《第二の人生》とか、そういうことはできるだけ考えないようにしていました」

 現役最終年となった16年はわずか2試合の出場に終わった。前述したように、故障に苦しむ日々が続いていた。また、この頃にはすでに後輩の今井志穂選手がアストライアの正捕手としての地位を築いていた。

 (満身創痍の体でこれ以上現役生活を続けたとしても、もう出番はないだろうな…)

 そして彼女は現役引退を決意した。それが16年10月のことだった。

「毎年秋に、アマチュアチームと対戦するジャパンカップがありますよね。あの大会が始まる前に、アストライアの仲間たちには〝今年限りで引退する〞ということを伝えました。引退後に何をするか、頭の中は真っ白な状態でしたけど…」

 現役最後の出場となったジャパンカップでは、熊崎さんも打席に立った。その瞬間、思わずさまざまな思いが込み上げて涙がこぼれ落ちた。ベンチからその姿を見守っていたアストライアナインの瞳も潤んでいた。

 正式発表前ではあったものの、その光景を見て、「この試合を最後に熊ちゃんは引退するのだろう」と悟ったファンも多かったはずだ。

 ジャパンカップ終了後、熊崎さんは、自らの第二の人生と真剣に向き合った。自分には何ができるのか? 自分はこれから何をしたいのか? そんなときに頭に浮かんだのが「ある言葉」だった。

「現役時代に何度か埼玉県警のキャンペーンに呼ばれたことがありました。県内の幼稚園に行って、交通安全を教示するイベントだったんですけど、そのときに知り合った方に、〝熊崎さんは県警に向いてそうだよね〞と言われたことがあったんです」

 それは、どんな意図で発せられた言葉だったのか、熊崎さんは今でもわからない。単なるその場限りの言葉だったのかもしれない。深い意味はなかったのかもしれない。それでも、第二の人生を考えていたときに、この言葉がふと熊崎さんの脳裏によみがえった。

 

「毎日が楽しくて仕方がないんです。

“ ありがとう”と言われると、幸せな気持ちになります」

 

 

「それでもう一度、県警の方に連絡をして相談をしたんです。この時点でもまだ、〝警察官になろう〞という思いがあったわけではありません。だけど、お話を聞いているうちに、〝新しい道に挑戦するのも楽しそうだな〞って感じたんです」

 この頃、女子プロ野球からは「スタッフとして機構に残らないか?」という提案も受けていた。

「スタッフとして機構に残らせてもらうか、それとも警察官を目指すか。当時の私には二つの選択肢がありました。スタッフになれば今まで通りに仲間たちと野球に関わることができるんですけど、どうしても警察官になる道も諦めきれませんでした」

 こうして熊崎さんは決断する。

(1週間考えてみて、それでもまだ気持ちが変わらなければ、警察官試験を受験してみよう)

 そして、1週間が経過しても「警官になってみたい」という思いは変わらなかった。

「1週間経ってみても、自分の考えが変わらなかったので、〝じゃあ、挑戦してみよう〞と決断できました。このときは崖から飛び降りるような心境でしたね(笑)」少しずつ、彼女にとっての新しい扉が開き始めていた。

 

そして、警察学校に入学

 ここからの熊崎さんの行動は早かった。すぐに公務員試験受験のための予備校を見つけ、入学手続きを済ませた。

「年内までは女子プロ野球との契約が残っていたので、夕方までは野球教室などの仕事をして、夜から予備校で勉強をしていました。私が通っていたのは地方公務員コースの夜の部でしたけど、ここには私のように仕事をしながら資格を目指す人がたくさん通っていました」

 年内限りで女子プロ野球との契約が切れると、そこからは朝から晩まで試験対策に励む日々が続いた。

 地方公務員試験・一次試験は翌17年5月のことだった。

「筆記試験までの間は、昼間はひたすら復習。夜は予備校で授業という感じで、勉強漬けの毎日でした。本当に何もわかっていなかったので、この時期は必死で勉強しました」

 努力のかいもあって、一次試験を見事に通過。その後行われた二次試験は体力テストと面接だったが、こちらは何も問題はなかった。

「体力テストは満点でした。プロ時代に鍛えたことが役立ちましたね。ここで満点だったから、警察官になれたのだと思います(笑)」

 無事に地方公務員試験に合格した熊崎さんは17年10月に埼玉県警察学校への入学を決めた。

「入学が決まってからは寮生活が始まりました。起床時間も、食事の時間もすべて決められていて、行動はすべて駆け足でした。おかげで、入学後すぐに7㎏も痩せました(笑)」

 日々の勉強は夜中まで続いた。夜8時から10時までは5人1組の部屋で全員が黙々と机に向かった。

 警察官の心得や日々の業務に関する対処法を学び、少しずつ警官の大変さとやりがいを学んでいる手応えを感じていた。それまで経験したことのない大変な日々ではあったものの、充実感や達成感があった。

 そして、翌18年3月。熊崎さんは見事に卒業試験に合格。晴れて埼玉県警の警察官となったのだった。

女子プロ野球から学んだこと

 警察官になってからの生活は一変したものの、三交代制で24時間勤務という生活にもようやく慣れてきた。右も左もわからないまま、「すべてが勉強」という日々が続いている。

 

 

 しかし、こうした激務の中でふとした瞬間に「女子プロ野球時代のことを思い出す」という。

「たまに、女子プロ野球選手になった頃のことを思い出すんです。同期はマドンナジャパンレベルの人たちばかりでしたから、私は下の下の状態でプロ入りしました。その頃のことを思い出すんです」

 

 13年にプロ入りした選手は熊崎さんの他に、尚美学園大学の同級生だった

中野菜摘選手(元・アストライア)、

中島梨紗選手(前アストライア監督)、

山崎まり選手(現・アストライア)、

里綾実選手(現・ディオーネ)ら、日本代表で活躍した選手たちがそろっていた。大学時代に不動の正捕手ではなかった熊崎さんが、自らのことを「下の下」と言いたくなる気持ちもよく理解できる。

「周りがあまりにも高いレベルの選手ばかりだったので、自分にできるのは、ただ頑張ることだけでした」

 熊崎さんはさらに続ける。

「私のプロ生活はがむしゃらに突っ走った4年間でした。よく言えば、無我夢中になった4年間でした。でも、悪く言えば、何も周りが見えていませんでした。だから、オーバーワークでケガばかりの4年間だったのかもしれません。今考えれば、勇気を出して休むことも必要だったのに、怖くて休めなかったんです…」

 現役引退から時間が経過したことによって、冷静に過去を振り返る余裕が生まれた。いろいろと反省点もあれば、「あのとき、ああしていれば」という思いもある。それでも、彼女は自らが刻んだ「4年間」という重みを誇りに思っている。

「私は引退直前まで自分に自信がありませんでした。選手として何も結果を残すことができなかったからです。でも、引退するときにファンの方からたくさんのお手紙をもらいました。そこには、〝熊ちゃんの頑張る姿が私の勇気になりました〞と書かれていました。それを読んだときに、〝やっていてよかった〞と心から思えたんです」

 故障に苦しみ、思うような成績を残せなかった現役時代。それでも、彼女は泥まみれになりながら、いつも必死に練習をしていた。それは関係者のみならず、ファンならば誰もが知っていることだった。

 元々、器用なタイプではない。それを承知していたからこそ、不断の努力を続けた。その結果、オーバーワークとなり、ケガに見舞われた。

 それでも、彼女はいつもグラウンドで笑顔を見せ続けていた。

「引退して初めて、私の4年間は無駄ではなかったのだと思えるようになりました。それをファンの方たちに教えもらいました。だから私は、みなさんのことを決して忘れません。そして、みなさんの生活を守れるような警察官になって、今度は私がファンの方に恩返しをします!」

 その瞬間、凛々しい制服姿の熊崎さんの表情が少しだけ柔らかくなる。それは、現役時代の彼女を彷彿させる穏やかな笑顔だった―。

 

 

 

くまざき・あい

1990 年4月14 日生まれ、28 歳。東京都東村山市出身。秋津小学6年生から野球を始め、東村山第六中学時代にはウイングスJrでプレー。駒沢学園女子高校時からキャッチャーとなり、尚美学園大学に進学し2013年にプロ入り。当時、コーチ兼任だった川保麻弥捕手の後継者として期待されていたが、たび重なる故障の影響もあって伸び悩む日々が続いた。それでも必死に努力を続け、泥くさく正捕手奪取に挑む姿で人気者に。現役時代に自ら誇っていたアピールポイントは「どんな球でも止めること。はつらつとしたプレー。フルスイング」。明るい笑顔と元気あふれるプレーが身上で、ファンサービスにも熱心に努めていた。16 年に引退。18 年4月からは埼玉県警の大宮警察署地域課に勤務する。

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