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2019.06.11

“今できることを全力で” セカンドキャリア 岩田きく

  • 女子プロ野球

開幕10年という節目を迎えた女子プロ野球リーグ。
その広報担当として、メディアと選手たちをつなぎ、さらにはSNSなどでリーグの魅力を発信と、奮闘しているのが岩田きくさんだ。昨年まで選手として5年間活躍、その経験を生かし、女子野球発展の一翼を担っている。

現役引退を機に新生活がスタート

 断れない。かと言って、流されない。優しさの奥に垣間見える強さが、岩田さんの大きな魅力になっている。昨年のシーズン終間際、引退を申し入れた。プロ生活5年。新しい選手がどんどん入ってくる中で、不動のレギュラー、という位置にはたどり着けなかった。昨シーズン当初には、引退をイメージしていたという。明確なイメージはなかったが、引退を機に女子プロ野球の世界からは離れるつもりだった。
 しかし、引退申し入れの際に、スタッフとしての就職を打診された。「私にできることはあまりないな」と思った一方、夢を追いかけ飛び込んだ世界で5年間、世話にもなった。「恩返しというか、力になれたら」と、引き受けることにした。ただ、断り切れずに手伝うというレベルであれば引き受けなかった、というより、引き受けられなかっただろう。相当な覚悟が必要だった。
 家庭の都合で、新生活の拠点を三重県に置くことは決めていた。そこから毎日、2時間以上の通勤時間をかけて京都市内の試合会場やオフィスに通う。「ちょっと手伝う」ような気持ちで続くようなものではない。それでも、「やろう」と決めた仕事だ。
 こうしたフットワークの軽さと、やると決めたら突き進む気持ちの強さが同居する岩田さんの人格形成は、幼少期からの生来のものと、これまでのキャリアとが絶妙にミックスされたものだ。

進学した高校が休校 それも「よかった」

 小学3年生で野球を始めた。「兄、弟の応援に行ってたら、楽しそうに見えて」というのがきっかけだ。「小学6年の頃は、男の子と比べても身長が一番高かったくらい。それに力もあったので」と、ただ交ぜてもらうだけでなく、センターやセカンド、ショートといった重要なポジションでレギュラーだった。兄・太呂さんは2010年の夏に島根・開星の2番・二塁手として甲子園に出場。1回戦で2点リードの九回2死無走者から仙台育英に逆転負けを喫したが、この年の1番・三塁手が現在阪神で活躍する糸原健斗だったことを見ても〝岩田家〟は運動能力に恵まれていたことがわかる。

 中学に進んでも、軟式野球部に所属しレギュラーを取った。野球を始めた小学校時代、テレビでプロ野球を見て「カッコいいなーって思ってました。頑張ったら、あそこに行けるんじゃないかって、本気で思ってたんです」と、プロのスターを夢見ていた。大好きな野球を続けるうちに、中学卒業の学年に達していた。
 男子の硬式野球部では練習はできても、公式戦には出られない。だが、岩田さんに「辞めるという選択肢はなかった」。島根県内には硬式野球を続けられる場所がなかったが、父親の「やりたいようにやりなさい」という言葉にも背中を押され、女子硬式野球部がある高校を探すことにした。そんなとき、和歌山の国際開洋高校が新たに野球部を作ると聞きつけ、進学。しかし1年で休校となったため、転校を余儀なくされた。一高校生にとって、しかも地元・島根を離れたばかりの女子にとって、大変な出来事だったはずだ。それでも、岩田さんは非常に淡々と振り返る。国際開洋高校の先生の勧めもあって、単位制のつくば開成高校に編入し、同時にクラブチームでもある履正社RECTOVENUSに入団した。
 現在、履正社の女子は中学生チーム、高校野球部、そしてクラブチームと3つの女子硬式野球チームを持つが、当時の履正社には高校野球部がなかった。岩田さんは週に1、2度、つくば開成高校に行き、残りは単位を取るための独習と、時間を有効活用してRECTOVENUSで「ずっと野球をやっていられる環境にいました」という。
 監督は現在、女子野球日本代表監督も務める橘田恵さん。「人として選手として大きく成長できた」と岩田さんは現在も橘田さんとの出会いに感謝している。学校が変わったことさえも、「よかった」と思える高校生活を過ごすことができた。
 兄や弟の影響、周囲の勧めで始めた野球。やっているうちに、自身の能力の高さも自覚するようになった。続けていれば、いろんなことが起きる。進学した学校自体が休校するなんて、想像もできなかったはず
だが、それが逆に、岩田さんのキャリアを彩る結果となった。すべてを用意周到に計画し、プラン通りの人生を進み、というタイプではない。
我が身に降りかかるすべてを受け入れ、周りの助言も聞き、進むべき道を探る。ただし「野球が好き」の一点においてはまったく、ぶれることがなかった。

 

もっと自信を持って取り組んでいたら

違った結果もあったかもしれない

 

実力差に焦る日々 次第に自信を失った

 履正社RECTOVENUSでは1番・ショートとして活躍。しばらくして、ピッチャーも任されるようになった。中心選手でもあり、小学校からここまで「チームの中では一番うまい」と思っていたし、岩田さんの性格を考えれば事実、そうだったのだろう。岩田さんは、自身の実力も測った上で当然のように入団テストに挑戦し、合格した。
 

 とにかく好きな道を突き進む中で2014年、フローラの選手としてプロデビューした岩田さん。その人格に、新たな部分が加わったのはここからだ。それまで所属したチームでは常に「一番うまかった」岩田さんが「レベルの差をすごく感じたんです」と言う。「どうやったら試合に出られるんだろう、というくらいびっくりしました」。その年の打撃成績は31打数5安打2打点、打率は1割6分1厘。チームのトップから、〝その他大勢の若手〟となることは、男女を問わず、プロ、アマを問わず、よくあることだ。

 岩田さんもプロ入り直後の驚きはあったが、その時点で心が折れたわけではなかった。それまでとは比べものにならないくらい、練習に打ち込んだ。2年目はチーム編成により育成チーム・レイアでさらに自己研鑽し先輩たちとの差を埋めようと励んだ。もちろんやったらやっただけ、返ってくるものはある。自分でも、確かなレベルアップは感じていたはずだ。とことんまで「練習はやったつもり」と、その部分においては自信がある。

 ところが、だ。「自分がレベルを上げても、それ以上に周りが上げてくるんです」。焦った。毎日が、葛藤だった。「どれだけやれば、あの人たちを追い越せるんだろう」という不安が岩田さんの心の奥底に宿ってしまった。「結果が出ない」、「苦しい」と悩み続けた。
 その殻を突き破ることができれば、もしかしたら美貌のスーパースターが誕生していたのかもしれない。

しかし、そうはならなかった。3年目からフローラに昇格したが、レギュラーの座をつかむところまではいかなかった。そして5年目を終えたところで、引退を決めた。
 大きな悔いがある。レギュラーになれなかったことではない。苦しかった自分と、どう向き合ってきたのか。「私は、ネガティブでした」。練習は、うそをつかない。着実なレベルアップは間違いなくあった。それを、周囲も認めてくれた。「監督から『よくなったなぁ』って言われたこともありました」。ところがその頃の岩田さんは、「そうなのかなぁ?」と、その言葉を素直に喜ぶことができなかった。それほど悩み抜き、むしろ諦めに近い感情が芽生えていた。それが、大きな悔いだ。「あの頃、もっと自信を持って取り組んでいたら、違った結果もあったかもしれないですね」
 練習は一生懸命やった。しかし心の底から、レギュラーになれることを信じてやっていたのか。どこかに諦めが入れば、上達の曲線は緩くなる。気づいてはいたが、立て直せないまま、ユニフォームを脱ぐことになってしまった。「これからは、全力でやる」。岩田さんの人格に、真の「全力」が加わった。
 そのタイミングで、女子プロ野球にスタッフとして貢献する機会が訪れたのだ。

女子野球の魅力発信 もっともっと輝いて

業務は、各メディアと女子プロ野球とをつなげる広報活動や、女子プロ野球の魅力を伝えるためのSNS発信など。デスクワークもある。試合となれば、両軍のベンチを行ったり来たりしながら、リアルタイムの動画を撮影し、SNSにアップする。活躍した選手の、生の声を拾う。選手たちも、昨年まで一緒に戦った仲間だからこそ、岩田さんには心を開き、素顔を披露してくれる。 特にSNSでは、それに対するコメント、リツイートの内容や量が岩田さんの励みにもなっていて、「こういう記事だと、たくさんの人に見てもらうことができるだ」といった気づきもある。「反応が、やっていて楽しいですね」。やりがいも感じ始めた。
 自らの通ってきた道があり、今の仕事の先にも通じている。
「私の中学時代には、女子硬式野球部がある高校は全国で5校。それが今は30校です。数だけではなく、レベルもすごく上がってる。今入団テスト受けたら、私、通らないだろうなって思うくらいです」
 実感する女子野球の発展。「いい時期に引退しましたね」と笑い飛ばす。この流れを、加速させたい。そのキーワードが、自身が選手時代に大きな悔いを残した「全力」だ。
 選手たちの魅力を伝えたい。選手たちに、もっともっと輝いてもらい
たい。全力で頑張れ、と現役選手にエールを送る。一方で、自分も、だ。
ナイターが終わり、インタビュー撮影が終わる。それをファンの目に届けるためには、帰宅途中の電車内すら仕事場として、SNSのアップ作業に取り組む。絶対に手を抜くもんか、の気概が伝わってくる。
 自らの将来像は、描いていないという。「この先のことは、何も考えてなくて」と笑う。それは、子供の頃、とにかく野球を追いかけ続けた岩田さんの姿と重なる。同時に「先のことより、今、できることを全力でやろうと思っています」。今や、女子プロ野球を支える、堂々としたレギュラーだ。

岩田 きく(いわた・きく)
1995年12月10日生まれ、島根県安来市出身。右投左打。飯梨小3
年時に野球を始め、安来市立第三中では軟式野球部で内野手としてレギュラー、和歌山国際開洋高からつくば開成高に移り、履正社RECTOVENUS で硬式野球を続ける。2014年プロ入り、18年シーズン終了をもって現役を引退。

 

 

 

 

 

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