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2019.05.16

ふるさとに帰ろう Vol.5 埼玉アストライア 山崎まりの野球教室編

  • 埼玉アストライア

ふるさとに帰ろうVol.5

真っ白な真冬の札幌に鮮やかに映えるオレンジ― 。山崎まり選手(埼玉アストライア) が、久しぶりに故郷へ帰ってきました。夢中で白球を追いかけ る野球少女たちや、女子野球界のレジェンドも、みんな“まり選手”に会えることをとっても楽しみにしていたんです。恒例の野球教室を通じて年々高まる北海道の女子野球熱を肌で感じた山崎選手は「あらためて、私は野球が大好きなんだなぁ、ってみんなに教えてもらいました!」。そんな2日間に密着しました。

 

大好きな故郷で野球三昧!老若男女が大集合断!

│弾丸スケジュールの帰郷ですね。 

「そうですね! 今年は新たに帯広の野球少女たちが呼んでくれたので、例年以上にハードでしたけど、すごく充実した北海道でした」

│山崎選手が来るたびに、北海道では女子野球熱が高まっていますよ! 

「私も実感しています。初めて帯広で行なった教室もすごく熱かったですよ。スケジュールがびっしりで友だちと会う時間はありませんが、大好きな札幌ラーメンと野球女子からパワーをもらいました」

 

│山崎選手の野球人生をたどる時間でもありましたね。

「そうなんです。中学時代に所属していた札幌真駒内シニアに立派な室内練習場が完成して、早速お邪魔しました。 北海道にはこうした室内の設備が必要なので、いつの時代もたくさんの方々 がサポートしてくださって野球がやれるんだなぁ、とあらためて私も感謝しました(笑)。違うチームに所属する3 人の女子中学生選手が来てくれて、うれしかったです。連盟全体で女子選手を支えてくれている感じですね」

 │お兄さんの影響で野球を始めたのが小学2年生の頃だと聞きました。

「はい、3歳上の兄がいて、くっついているうちに私もやりたくなって兄の少年野球チームに入れてもらいまし た。中学進学時は兄がいた真駒内シニ アか中学の野球部か迷いましたが、本気度と硬式球に魅力を感じて真駒内シニアを選び入団しました」

 

│中学入学は2003年ですが、周囲に女子選手はいたのですか? 

「北海道のリトルシニアでは私が女子選手第1号だったそうで、周囲は大変だったと思います(笑)。レギュラー にはなれなかったし、親にも送迎な ど迷惑かけましたが、いいチームで 〝がっつり〟野球をやれたことが今につながっています。あとは学校で陸 上部に入部して、誰もやりたがらない 1500mで結構いいところまでいきましたよ!(笑)」 

 

│野球を続けることへの迷いはありませんでしたか?

「たとえばソフトボールに転向する、 といった発想はありませんでした。私は野球がやりたかったので。本州の女子野球強豪校を見学したりしましたが、男子の〝甲子園〟のような存在が ない中、親元を離れて、お金をかけてまで進学する気持ちにはならなかったです。その後、兄が通っていた札幌藻岩高への受験を決めてからは野球部の先生に何度も会いに行き、入部したい気持ちを伝えました」

 

│男子の野球部だと大会には出られませんよね。マネージャーとしての入部だったのですか?

「当時、高校でも女子選手第1号で、公にしにくい事情もあったようで、マネージャー登録でした。前例がなかっ たので、大変だったと思います」 

 

世界を広げてくれたレジェンドとの出会い

│中学3年から高校進学時にかけて運命の出会いがあったそうですね

「日本代表の4番を務めた金由起子さんです。ちょうど金さんが北海道初の女子硬式クラブチーム(現ホーネッツ・ レディース)を立ち上げて、選手を募集していたときに会いました。大人の女子選手(笑)で、かっこよくて。その 後、高校入学直前の春休みには金さん、志村亜貴子さんに声をかけてもらい、日本代表のセレクションを受けて、頑張っている女子選手が全国にはたくさんいて、日本代表というのがあることも知りました。この頃から、日本代表を意識するようになりました」

 

 

 

│どんな〝高校球女〟でしたか? 

「平日は高校の野球部で練習、土日はホーネッツ・レディースで活動しました。平日もホーネッツの練習がある日は母に高校の練習が終わるまで車で待ってもらい、補食を済ませてホー ネッツの練習に参加しました。高校と練習場は遠くて、母には苦労をかけました」

 

│今回、ホーネッツ・レディースへの野球教室もありましたね。

冬のイベントがあって人数が少なかったので、一緒に練習をした感覚です。ホーネッツ出身の小原美南投手(愛知ディオーネ)も一緒だったので、金さんもうれしそうでした(笑)。昨シー ズンの香川での試合のときは、せっかく応援に来てくれたのに私がいなくて、がっかりさせてしまったんです」

 

│20歳前後の選手と一緒だったので、野球教室というより臨時コーチに見えましたよ。

「高校の野球部で男子と一緒にやっていた選手もいて、彼女たちは経験があるので、体の使い方、力の伝え方、野手ならトップ、バットスイングの考え方を話しました。興味を持ち、やって みて自分で何かをつかんでほしいと 思っています。進学、就職などでチームを離れる選手も多くて、もっと選手が増えるといいのですが。私自身、このチームを知って、金さんに出会って 人生が変わったので」

 

│指導という点では、筑波大の野球部や中学校で非常勤講師をした経験も大きいですか? 

「当時は女子プロ野球がなかったので、体育教員になり、あわよくば女子 野球の指導ができれば、と思って進学 を決め、監督に直談判して野球部に入部しました。筑波大野球部の経験は大きいですね、練習も厳しかったし。卒 業後は東京の中学校で非常勤講師をす る傍ら、アサヒトラストで活動しまし た。勤務先の野球部は正直、それほど 熱い野球部ではなくて、それが私には 新鮮でした。思えば男子と野球をやっ ていたとき、敵わないこと、自分だけ うまくいかないことが多かった。そ れって、彼らと同じじゃないか、と気づかされ、うまくいかない選手の気持 ちを考えられるようになりました」

 

│大学卒業後、プロ野球への道は考えなかったのですか? 

「悩みましたが、指導者も野球も捨てきれず、両方選んだ形です。でも生徒指導が中途半端になりそうで、野球に懸けてみようと思い、1年で退職して入団テストを受けました。生徒が背中を押してくれたんですよ…。生徒たちから、たくさん教わりました」

 

│13年のレイアを皮切りに3球団。 今シーズンはアストライアで移籍2年 目、プロ通算7年目のシーズンを迎えます。

「守備コーチ兼任ですし、自分の立ち位置も理解していますが、トレーニン グの質を考えるようになり、パフォー マンスは年々向上しています。足も速くなっているし、まだまだ進化できる自信もあります。今回の行程ラストは恒例の後援会のみなさんとの会食。その席でキャリアハイを誓いました。来 年、この席でいい報告をしたいと思います。8月には念願叶い北海道で試合開催をすることになりました。そのときは、北海道の女子野球関係者に集まっていただき、熱い時間にします!」

 

 

山崎まり(やまざき・まり)

1989年11月17日生まれ、北海道出身。164cm。内野手。右投右打。札幌真駒内シニア、札幌藻岩高、筑波大。アサヒトラストを経て13年にレイアへ。15年に三塁手としてベストナイン。18 年からアストライア、1 9 年は守備コーチ兼任 。

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